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時代とガラパゴス


Writer : matsushi


Type/ : 2021-08-28 / blog

歳とともに、自分では気がつかないうちに聞こえる音域が狭くなっているようだ。
一時流行ったモスキート音についてはかなり前から聞こえない。
というか10年くらい前でしょうか、モスキート音と言われ始めてiPhoneアプリをダウンロードした頃には既に聞こえず、このアプリは何も仕事をしないのにアップデートだけは要求する居候だった。
僕はかつて一度も肝心の音を聞いたことがないのに、当時小学生くらいの息子は聴こえていたからダマシアプリではないらしい。
NGの他の2人も年齢的に高音、低音が聞こえていないはず、NGのマスタリングのバランスが心配だ。

コロナ禍、オンラインでバンド活動を始めて一年が経った。
手軽に世界的な有名オンラインストアに配信できて便利、ベンリと言ってるうちにいつのまにかガラパゴスになっていないかと心配になる。
反応がネットの数字だけ。
やれダウンロード数、ストリーミング数、再生回数、アクセス数等々。
生の声を聞いたことがない。
知り合いは褒めてくれるがそれはそうだ、ナマの声ではない。
本オフィシャルサイトにはコメントフォームがあるが、一人も投稿をくれた人はいない。
どなたかNGの感想を聞かせてください。まだ一人もいないのです。

こうなってくると、我々3人は現実の世界でほんとに音楽をやってるのだろうかと。
もしかするとNGはサイバーの世界に紛れこんで別の時空で活動をしてて、現在通勤電車でこれを書いている僕の日常生活にはNGなんて存在してないのかもしれない。
アートは非日常の人間性を描くことによって日常と切り離し、その落差を楽しむ。
だけど、どこかで日常と繋がっていないと誰もついて来れなくなっちゃう。
それでも良ければイイけど。

コロナ禍でなければ話は早い。
だったらライブやれば、と。
現に金沢ではつい最近までお酒も飲めたようだし、小さいお店で生演奏してるようなSNSをよく見ました。
東京ではまだ難しいね、特に8/26現在、緊急事態宣言、蔓延防止法が全国に広がりつつあります。

原点に立ち返って一年前の活動を開始した頃のキーワードを思い出してみると、コロナ禍、シンギュラリティ、アンビバレント、集合的無意識であった。
「コロナ禍」以外の3つは皆同じ意味だ。
裂け目と矛盾と井戸の底である。
境界線を希求していることが分かる。
我々三人はこれまでの日常を脱して向こう岸に飛び越えたい欲望を持っていた。
実は三人がそれぞれ持ち寄ったキーワードがこの三つだった。
無意識に全く同じ気持ちだった。
さて、飛び越えられるだろうか?
NGより先に飛び越えるとしたら誰だろう?

ガラパゴス諸島はダーウィンが進化論を着想したことで有名である。
なぜ、いわゆるガラパゴス的な環境において先進的な概念を着想できたのか、これこそ現実と非現実の落差ではないだろうか。
落差があるからこそ常識から逸脱し想定外の気付きが浮き彫りになる。
まさに裂け目と矛盾と井戸の底である。
しばらくガラパゴスでいってもイイのかなぁと思ったり、思わなかったりの日常であります。

©️PlanetWave